TsujiTasukuの日記

太鼓奏者の日々の雑感

2020年2月6日 寒い夜に

最近の世の中は混沌として、

小市民の私なんぞは世間に波風も起こせぬまま、小さな箱と睨めっこの日々。

四角く顔に反射する光は世間の窓などでは無い。

小さな娯楽と引き換えに時間をベットする人生の浪費だ。

 

正しさも危うく、間違いは捻じ曲がり、

様々な境界線はおぼろげに解けていく。

総理大臣は嘘ばかり。

 

漠然と不安な日々。

故に身体を動かす事で紛れる何か。

 

周囲の眩ゆい輝きを横目に追いながら、

私は明日の晩ごはんを考えている。

 

今夜も寒い。

2019/8/21〜9/3 USA WS tour にて

 今回のアメリカへの旅の目的は、オハイオ州ダブリンのDTG(ダブリン太鼓グループ)結成15周年記念コンサートへのゲスト出演と各地でのWS(ワークショップ)。

 

ダブリン太鼓は15年前オハイオ州の芸術協会のレジデンスプロジェクトで、師匠が立ち上げから指導をし、プロジェクト後も地元の中学校(デイビスミドルスクール)のスザンヌ先生を中心に今も継続している団体。

 

今回は同じく15年前に同時期に立ち上げから師匠が指導している栃木県益子町の益子天人疾風の会の有志も一緒にダブリンへ。

 

この2団体は要は師匠が指導した兄弟グループであり、ダブリン市と益子町は太鼓がきっかけで友好都市として繋がり、今回の催しは街同士の国際交流でもある。

 

今や北米最大の学生グループに成長したDTG。

全く異文化の太鼓が地元の文化として根付き、子どもたちが懸命に練習に励んでいる姿は、文化の力のを実感する光景だ。

 

コンサートは大盛況で、OB・OGを含め最後は総勢104人での大合奏となった。

 

受け入れを含め、今回もDTGの保護者や関係者の皆様に大変手厚いおもてなしを受けた。子どもたちだけでなく、周りの大人も一丸となって15周年記念公演は無事に幕を閉じた。

 

その後はフィラデルフィア、NYとWSクラスを各所で開催した。

 

フィラデルフィアは地元の協太鼓がホストになってくれた。映画のRockyで有名な街だが、そんな地にも太鼓を愛好する人々がいる。ジョースモールもこの地の大学で教鞭をとっている。

 

そしてNYではコロンビア大学、渡辺薫太鼓センター、僧太鼓と複数のクラスを行った。行く先々で歓待していただき、本当に有り難く、またしっかりせねばと身の引き締まる思いだ。

 

NYではDTG卒業生の光太郎君と父上のイサオさんが全てのコーディネーションとサポートをしてくれた。この場を借りて山川家には心から感謝申し上げます。

 

 

 アメリカの太鼓を取り巻く事情は最近の日本とあまり変わらない様に感じた。(もう随分前からそういった様子だが)様々なスタイルが混在し、またミックスされており、地域性を離れた大衆芸能として広く伝わっている。

 

僕ら日本人が思うほどアメリカでは日本らしさという様な話題は出てこない。光太郎君曰く、「アメリカでは日本というよりもアジア全体で印象が一括りなので、和太鼓もアジアの文化として認識されている感じ。」と。

 

特に日本の文化というより、アジアの文化との繋がりを感じるものとして一般の愛好家には太鼓が機能している様だ。

 

その一方で太鼓は日系コミュニティーの文化の象徴としてアメリカ社会で発展してきた歴史がある。

 

マイノリティーが社会的繋がりを文化を通じて共有するという様な形は、アメリカにおけるジャズの歴史にも似ている気がする。

 

戦後日本で広まった新興芸能としての太鼓と少し事情は異なるが、相互に影響を受け合いながら今日に至っている。

 

現在の日本もアメリカも太鼓は意識も技術も全体的にアマチュアリズムが支配する芸能だ。我々の様な音楽・表現芸術的な太鼓を志向するプロフェッショナリズム(制作的な事も含めて)は、一般の認識からはとても遠い所にある。

 

教育や楽しみの為に、社会との繋がりのためにある太鼓と音楽・芸術・職業としての太鼓という意味合いの異なる物が横並びになって混然一体となっている。

 

太鼓を職業にすること、ましてやプロ演奏家としてやっていく事は並大抵ではない。これは今回NYでお世話になった元鼓童の渡辺薫さんとも同様の話題が出た。

 

世界中に和太鼓が広まった割には、クラシックやジャズの様な高いレベルの演奏家が次々に生まれるといった事にはなっていないのが現状だ。

 

そして、現代の日本の太鼓が発展した経緯や音楽的な変遷をしっかり把握している演奏家が、プロと称して活動する人々の中でもほとんどい居ないのも要因の一つだろう。これはレッスンプロ的な指導活動をしている立場の人々も同様である。

 

そういった認識が無いまま、ただただ演奏している、あるいは夫々の流儀で技術指導をしているといった具合だ。知識が全てではないが、自分が今何をやっていて、大きな流れの中でどこに立っているのかという自覚は、他の音楽の世界では、演奏家から当然語られるべき事だと思うし、他分野ではその為の体系的な学問もちゃんと発展している。

 

特に他人を指導する立場の人間には不可欠と言って良いだろう。

 

またそういった知識が未来の手掛かりになるだろう。

 

演奏技術だけではなく、一体自分が何者か、何をやっているのかという事を他人にきっちり説明できるのが一流の演奏家だと思う。

 

太鼓を取り巻く一般認識と経済効果の無さもあるだろう。しかし、どんな世界にも超一流はいるのだから、思い描く理想を目指して突き進むしかあるまい。

 

そういった意味では未整理で未開拓な分野で、

新しい可能性がまだまだある分野とも言える。

 

この過去5年で16ヶ国で公演し、世界に広がった様々な日本の太鼓の在り様を見てきた。

 

そして、太鼓を通して世界を見てきたが、

未だに状況はあまり進展していない様だ。

 

願わくば太鼓を通してそういった世界の認識をほんの少しでも押し広げられる様になりたい。

 

そう更に強く思う旅になった。

 

2019/9/2 機内にて

20190820 題名のない音楽会55周年記念企画

 長寿番組『題名のない音楽会』の55周年記念企画に英哲風雲の会として出演させていただきました。

 

会場はクラシックの殿堂サントリーホール

未来のクラシック界を担う俊英たちと邦楽界のトップランナー達が一堂に会する豪華な企画。

 

久々の再会や新しい出会いなど、音楽を通じて繋がるご縁を強く感じる現場でした。

 

とはいえ自分はまだまだ駆け出しの奏者。

 

眩しく光るスター達を眺めながら、ハングリー精神を忘れず、地道に匍匐前進を続けます。

 

やるぞ。

20190817 OTAIKO響30周年

 福井県織田町オタイコヒルズで毎年開催されている

『OTAIKO響2019』に出演。

 

今年は画家の藤田嗣治の作品と人生をモチーフにした『レオナール我に羽賜ベ』を上演。

 

通常は劇場の演出効果を駆使する舞台作品なので、野外で作品の密度を保てるかという心配がありましたが、いつもとは違う環境で新鮮な発見がいくつもありました。

 

劇場は密室空間なので、

自分の中に空間を取り込む事でその隅々まで意識を張り巡らせるのですが、今回の野外ではもっと広い空間に意識が溶け出す様な感覚がありました。

 

内的な感覚なので目に見える様な変化ではないのですが、自分の中では大きな変化でした。

 

催しの最後は13台の大太鼓アンサンブル曲『七星』で賑々しく周年に華を添えた。

 

暑い夏の熱い演奏でした。

20190814 邦楽隊RH

  今日はテレ朝で邦楽隊のクリエーションとリハーサル。邦楽隊全体での共演シーンの曲作りだった。

 

太鼓・琴・尺八・三味線・能楽囃子と異なる伝統分野の領域で活躍する邦楽オールスターチーム。

 

最初は重い空気が漂う中手探りで音を合わせて行く。誰も主導権がどこにあるか分からずちょっと困惑している様にも見えた。

 

しかし段々と意見が出始め、音を出してあれやこれやしながら形が徐々に見えてきた。ある瞬間からセッションがハジけて活発に色々試そうという空気ができた。

 

やっぱり人間同士のコミュニケーションは大事。

お互いの意見を出し、試す。流石に第一線のプレイヤー揃いなので、形が見えてからの流れは速かった。

 

邦楽器の様々な奏法や音が一度に聞けて、これは勉強になる現場だ。そして、その確かな演奏力で瞬時に対応・反応するのでどんどん良くなる。

 

きっと本番が1番良くなると思う。

 

あんまりカッチリ固めすぎず、柔らかな部分を多少残して終了。能力の高い人間が揃うと、短時間でこんな事が実現可能なのかと舌を巻く。

 

とにかく豪華な共演は20日赤坂のサントリーホールで収録される。一体どんな完成形になるのか、ワクワクと不安が8:2ってところだ。

 

 

20190814 ARITACLASPA2019

 先日久々に九州で演奏する機会に恵まれた。

 

佐賀県有田で立ち上がったクラシックを中心にしたフェスティバル『ARITA CLASPA 』の第1回目にゲスト出演。音楽監督・総合プロデュースは新垣隆さん。

そして、カンパニーイーストの面々。

 

出演アーティストは和気藹々ととても楽しげな雰囲気で、

ゲストの我々も仲間の一員になれた様な現場だった。

 

林英哲・英哲風雲の会としてのホール演奏と、

鍵盤男子×風雲の会のDUO×DUOで『Bolero』

林英哲×新垣隆 『死と乙女』(新垣隆作曲)

などのコラボあり、グランドフィナーレでは出演者総出で野外会場を盛り上げた。

 

今回なんと言っても嬉しいかったのは、風雲の会として鍵盤男子さんとのコラボ演奏の機会を持てた事だった。

 

普段のアンサンブルのサイドメン的な役割から、自分達で創意工夫しながら音楽を構築する作業がとても楽しかったし、実際本番の演奏は白熱した物になった。

 

風雲それぞれ個人活動もやってるし、各々全く音楽の指向性が異なるのだが、英哲風雲の会として舞台に臨む時には、風雲の会としての役割がある。

 

今回はその枠組みの中にいながら、多少自由に音楽を作ることができたのは、大きな変化だ。

 

勿論 師匠の表現や美学を踏襲しつつだが、個人の色を前に押し出す機会は貴重な経験となった。

 

そして、この夏はまだまだ色んな挑戦が待っている。どの演奏も精魂込めて!前進あるのみです。

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20190807 準備の日々

 この夏は様々な舞台の本番が立て込んでいる。

 

準備やリハに追われる日々で、しかも全て内容の違うものばかり。その間に道場の床の張替えやらなんやら、もう目の回る忙しさ。加えてこのところの暑さに気が滅入りそうになりながら、どうにか日々をやり過ごしている。

 

 いよいよ怒涛の夏の幕開けだ。

 

明日の九州から世田谷、福井、アメリオハイオ、NYと矢継ぎ早に旅が始まる。そして、その間に題名のない音楽会の収録もある。

 

忙しいことはフリーランスにとっては大変有難い事なのだが、「こう暑くっちゃかなわん!」の理由は僕らの楽器(日本の太鼓)が毎回引越し作業並みに移動が大変だという一点に尽きる。

 

 今日は世田谷の子供たちとの稽古。

ブラスバンドと合わせリハをやったり、衣装の確認事項を伝えたり、演奏指導以外にも伝えるべき事が多い。彼等の顔つきも本番モードになってきており、いよいよだなという雰囲気だった。

 

 準備期間が明けたら、その成果が問われる舞台が待っている。準備を頑張っても結果がコケたら意味が無いのが舞台という物だが、良い本番を全力で届ける努力は直前まで怠ってはいけない。

 

 観客にとって目の前で起きている事が全てなのだから。